【リツイートは賛同行為】義務教育の意義はリテラシーの涵養である
「リテラシーがない=馬鹿」という風潮
社会で生きていく上で直接評価されるわけではないけど必要な能力というものは多くある。その最たるものは「リテラシー」ではなかろうか。
リテラシーがあることを自慢しても馬鹿の一つ覚えでしかないかも知れないが、
リテラシーがない=馬鹿
という風潮は確かに存在するだろう。
リテラシーがある人=馬鹿にされない
になっているようにも見受けられる。
それが「テレビで得た情報だから」「新聞を読んで知った情報だと言えば少なくとも馬鹿とは思われないだろう」「みんなで渡れば怖くない」という非生産的な方向に向かわせているのではないかとも思う今日この頃である。
SNSにおける当事者意識
ツイッターで他人の投稿を引用する「リツイート」で名誉を傷つけられたとして、橋下徹・元大阪府知事がジャーナリストの岩上安身氏に慰謝料など110万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、大阪地裁は12日、33万円の支払いを命じた。末永雅之裁判長はリツイートについて「投稿に賛同する表現行為」として、名誉毀損(きそん)に当たると判断した。
2019年9月には「リツイートは賛同行為」という大阪地裁の判決が大きな話題になったが、自分の個人情報や自分の属するコミュニティについてのみならず、SNSで発信されている直接関わりのない案件に対しても最低限の当事者意識、自分も発信する側、他人に情報を流しているメディアであるという意識を持たなければいけないということだろう。
少なくとも
- 社会に属している者には誰しも責任があるということは分かっていても「責任感」を持つことは毛嫌いする
- 外野から石を投げ続ける側でありたい
- Twitterだからいいだろ、普段はこんなことしない
という考えはもう古いということではないだろうか。
むしろ現実での発言よりもネットの言動の方が多くの人に見られるのは確実だから、より慎重にならないといけないだろう。
今やネットにこなれている感を醸し出すことほどダサいものはない。
プログラミング教育やアクティブラーニング型の授業を義務教育に組み込むのは早すぎる、5教科がおろそかになるだけだ、という批判もあるが
今の時代プログラミングができないとだめだから全ての小学生はスキルを身に付けないといけない、というわけではなくて
リテラシーを身に付けるという意味でしかない。
体育、音楽、美術、技術家庭科といった副教科にも言えたことだが、授業でやった内容を習得できているか、暗記出来ているかはどうでもよくてリテラシー能力を身に付ける、広い意味で言う「教養」を身に付けることが義務教育の目的だろう。
この点についてはプログラミングやアクティブラーニングが導入される前も後も変わらないだろう。
- リテラシーが身についてないとTwitterで赤の他人と延々と討論する人になってしまう
- リテラシーがある人は例え批判されたとしても「自分の人格を否定されているわけではない、ただ解釈が間違っていただけ、価値観がずれていただけ」と切り替えることが出来る。
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